志賀町地頭地区中世墓窟群 公開状況 展示中 時代 鎌倉時代以降 形態・種別 その他 地域 志賀町地頭地区 7基の方形の岩窟墓が確認されている。1・2・3号窟に五輪塔、4号窟には宝篋印塔が造立されていたが、令和6年能登半島地震による崩れてしまった。この様式は通称「やぐら」と呼ばれ、主に武士の墓として中世の鎌倉地方に盛行した特殊な墓制である。 本サイトに掲載しているテキスト・画像などのコンテンツ全般について、無断でのダウンロードやスクリーンショット、転用、転載等は禁止しています。 検索結果に戻る